「解剖学実習を終えて」医学生からの言葉
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2025年度 医学部医学科 2回生
初めに、解剖学実習のためにご献体くださった自菊会の皆様、ご遺族の皆様、そしてご指導くださった先生方に、心より深く感謝申し上げます。
この実習は私にとって医学の世界への本格的な第一歩となりました。ご献体という尊い選択をされた方々のご覚悟に果たして自分の学びが見合うものであったのかと自問する日々でしたが、私は自らの力の及ぶ限り、全てを学び取る覚悟でこの三ヵ月間に臨んで参りました。以下に実習を通して考えたことを記させていただきます。
私はこれまでの人生で三つの異なる「死」と出会ってきた。老いた曽祖父母の穏やかな最期、ある日突然訪れた盟友の死、そして病とともに少しずつその輪郭を濃くしながら迎えた親友の死。そこに今回の「無言の死」という新たな形が加わった。
実習当初、私は「生」を知らずして「死」を学ぶことにどれほどの意味があるのだろうかと戸惑っていた。しかし、日々の解剖を通じて、私の中にあったその疑間は次第に変化していった。手術の痕跡、肺炎の残した影、脂肪の分布……。教科書には載らない、けれども確かにそこに存在する「生の証」たちが、私に語りかけてくる。確かにこのお身体は、生きていたのだと。そこにはかけがえのない人生があったのだと。
実際に目にする人体の構造は、想像以上に繊細で脆く、そして神秘的だった。これほど細い血管や神経が、これほど儚い臓器が、人間の五感や思考、感情を支えている。その事実に私は深く心を打たれた。明快な秩序ではなく、混沌とすら見える複雑さの中に、膨大な数の細胞が精密に協調し、一つの生命を形作っている。その奇跡に私は畏敬の念を抱かずにはいられなかつた。教科書的な「正しさ」が全てではないという事実もまた、ご遺体を通して学んだ大きな気づきだ。多くの「例外」は、次第にその方の個性として私の目に映るようになり、人の身体とは単なる機構ではなく、その人の「生」の歴史そのものだと感じるようになつた。私はこの実習で、ただ構造を暗記したのではない。お身体に刻まれた「生の痕跡」こそが、最も深く私の心に刻まれた学びだ。そしてそれは、ご献体くださった方が未来の医学のためにと、私たちに託してくださった想いの結晶にほかならないと感じている。人は死を迎えても、その生きた証や思いは、他者との「つながり」として残り続ける。その「つながり」は、新たな行動の契機となり、ときに未来への挑戦を後押しする力ともなる。肉体は物質的に分解され自然へと還っていくが、そこに宿っていた想いや祈りは、受け継がれていくことで心の中に生き続け、また新たな循環を生み出していくのだと私はこの実習を通じて実感した。
私に託された「つながり」とは何だったのか。そしてそれをどう未来へつないでいくのか。その問いに対して、今の私なりの答えは、与えられた命に誠実に向き合い、自分の「生」の意味を問い続けることにあると思っている。私は研究者を志す医学生だ。医学を志す一人の若者として、そして未来に生きる誰かにとって良い道標となれるよう、自らを高め続けたいと強く願っている。積み重ねた学びと研究を通して、医学そのものの発展に、そして将来この道を歩む人たちへの礎となるよう尽力していく所存である。解剖学実習はまさにその道の土台となるものだった。立派な基礎を築かせていただいたからには、そこに種を植え、大きく育て、やがては花を咲かせ、実を結ばせなければならない。
最後に、改めて、尊いご献体という道を選んでくださった白菊会の皆様、ご遺族の皆様に深く感謝申し上げます。このご恩に報いるべく、今後ますます研鑽を重ね、医学の発展に貢献できる研究者となることを、ここにお誓い申し上げます。
本当にありがとうございました。
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2025年度 医学部医学科 2回生
約三ヵ月間にわたる解剖学実習を経て、ご遺体から非常に多くのことを学びました。
四月上旬の初回の実習では、ご遺体を前にして全身に力が入らず、倒れてしまいそうになりました。実際のご遺体と対面するのはこれが初めてではありませんでしたが、いざご遺体を前にすると、えもいわれぬ恐怖感に支配され、手足の震えを抑えることができませんでした。日の前に無言で横たわる、「かつては生きておられた人間」の存在感は、教科書の図や写真とは違う、圧倒的なものとして私を揺さぶりました。初日の帰り道は、三ヵ月果たしてやっていけるのかという不安で頭がいっぱいでした。
しかし、実習が進むにつれ、その感情は少しずつ変化していきました。体中に張り巡らされた血管や神経、そしてそれらが支配する筋肉や器官など、全身をくまなく解剖していくうちに、人体の構造は驚くほど精密で、その一つひとつに意味があることを思い知らされました。そうして日を追うごとに、私が当初感じていた恐怖は、いつしか人体の精緻な構造への畏敬の念と、それを解き明かしたいという知的好奇心ヘと変化していきました。
中でも特に強く印象に残っているのは、頭頸部の解剖です。頭頸部には非常に多くの組織が分布していて、中には非常に小さく、簡単に傷付いてしまうものもありました。とりわけ、耳小骨のあまりの小ささには驚かされました。しかし、それらの一つひとつが、見る、聞く、味わう、嗅ぐ、表情を作る、声を出すといった、この部位が担う様々な機能を果たすために非常に重要で、一つでも欠けると機能が失われることにもなり得ることを学びました。ほんのごく小さな構造の損傷が重大な障害を起こし得るという事実に、人体がいかに奇跡的なバランスの上に成り立っているかを痛感しました。
この三ヵ月間の解剖学実習で得られた貴重な学びは、決して私一人の力では成し遂げることはできませんでした。解剖学実習は、常に班員との共同作業でした。一方が組織を支えつつもう一方が掘り進めたり、一方が見つけたものをもう一方が教科書等を使い同定するといった場面もありました。また、左半身と右半身で分担し、お互いが見つけたものを共有することで、班員全体の理解の向上にも繋がりました。班員との協力に加えて、自分たちだけでは解決できない疑間に直面した際に、どんな些細な質問にも真摯に向き合い、解決のヒントを与えてくださった先生方にも支えられてきました。先生方の丁寧なご指導なしでは、実習の中でこれほど多くを学ぶことはできなかったでしょう。そして何より、故人とご遺族の方々のご協力なくしては、私たちは、今後学んでいく様々な医学の分野の礎となる、解剖という第一歩を踏み出すことすらできませんでした。私達医学生の学びのために自らの体を捧げてくださった故人と、その尊いご遺志を尊重し、支えてくださったご遺族の方々には、感謝の念でいっぱいです。
この三ヵ月間の経験は、今後私が医師としての道を歩む原点となるでしょう。教科書で学ぶものではなく、これまで人生を歩んできた一人の「人間」としてご遺体と向き合ったことは、医師となるうえでかけがえのない経験です。三ヵ月間の実習で感じた恐怖、人体の精緻さへの感動、そしてご遺体への感謝の気持ちを生涯忘れることのないよう、心に刻んでおく所存です。
最後に、解剖学実習に関わった全ての方々に、心より感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
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2025年度 医学部医学科 2回生
大学での解剖学の授業が一通り終了し、今、静かにその学びを振り返っている。振り返れば最初に教科書を開いた時の緊張感と、人体というあまりに精巧なシステムに対する畏敬の念が思い出される。高校までの生物とは全く異なるスケールと情報量に圧倒されながらも、解剖学という学問が医学の根幹を支える重要な分野であることを実感した。
授業ではまず骨格や筋肉、神経、血管といった基本構造から始まり、それぞれの部位がどのように機能し、互いに連携して生命活動を支えているのかを学んだ。単に「覚える」ことから「理解する」ことへの転換が求められ最初は戸惑いもあった。しかし繰り返し模型に触れたり、図譜と照らし合わせたりしながら次第に身体の構造がつながって見えるようになってきたとき、学びの面白さが一気に増した。
特に印象的だったのは、実習での経験である。実際の臓器や模型を目の前にして観察することで教科書の図だけではつかめない立体的な理解が得られた。例えば腸間膜の広がりや神経叢の入り組んだ構造など、頭の中ではイメージしにくい部分も実物を見て初めて納得がいった。また、肉眼では見えないような細かな血管や神経がどれほど重要な役割を果たしているのかを知るにつれ、人体の精巧さに感動を覚えた。
さらに解剖学を学ぶ中で生命に対する考え方も変わってきた。例えば、ある日、脳の構造について学んでいたとき、自分自身の「考える」という行為がたくさんの神経細胞の働きの上に成り立っていることを実感し、人間の存在そのものがいかに複雑で奇跡的なものかという感覚に包まれた。人体を知れば知るほど自分の体や周囲の人々の体も大切にしたいと思うようになった。
一方で膨大な知識量と専門用語の多さに苦戦したことも事実である。特に最初のうちはラテン語由来の部位名や略語に慣れるのに時間がかかった。学んだことを確実に自分のものにするために友人と問題を出し合ったり、覚えにくい構造を一緒に模型で確認したりした。その過程で自分では気付かなかった視点や理解の誤りに気付けることも多く、協働学習の大切さを実感した。
今後、医療の道に進む者として解剖学の知識は単なる基礎ではなく診断や治療に直結する土台である。例えば内科医として胸痛を訴える患者を診察する際には、心臓だけでなく肺や食道、大動脈など、どの部位が原因かを瞬時に判断する必要がある。その判断力の源となるのが解剖学である。したがって今後さらに知識を深め、臨床と結び付けていく努力を怠ってはならないと自戒している。
最後に解剖学という学問はただの「体の地図」を覚えるものではなく、「命の営み」を立体的に理解するための第一歩だと感じた。この授業を通して得られた知識と感動はこれからの学びや医療の現場できっと何度も私を支えてくれるだろう。学び続ける姿勢を大切にしながら人の身体と真摯に向き合っていきたい。
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2025年度 医学部医学科 2回生
初めに、我々の解剖学実習のためにご献体くださった白菊会の皆様、ご遺族の皆様、ご指導くださった先生方に心より感謝申し上げます。
四月からつい先日まで約三ヵ月にわたって行ってきた解剖学実習は、入学前から待ち焦がれていたものでした。ヒトの身体を包括的に学び疾患治療に貢献したいという思いのもと医学部に入学した私にとって、人体の構造を隈なく観察させていただくことのできる解剖学実習はこの上ない貴重な機会であると前々から感じていたためです。
一度きりのこの実習から最大限の学びを得るのだと並々ならぬ想いで迎えた実習初日、心の準備はできていたつもりでしたが、いざご遺体と対面した際には非常に緊張したのを覚えています。崇高な精神により献体という道を決断されたこの方を、これから隅々まで解剖していく。少し開いた口の中には歯が見当たらない。死因は慢性腎不全を始めとする複数の疾患。生前は苦しい思いをされていたに違いない。様々なことが頭を巡り、長い人生を終えて目の前に静かに横たわるおばあさんに一時的に気圧されたような気がしました。
しかし、緊張に満ちた雰囲気の中、作業を開始して筋膜の下に筋肉が見えたとき、これからこの方から精一杯学ばせていただくのだと改めて覚悟が決まったように感じました。その後の実習では、あらゆる構造を見逃すまい、構造物同士の位置関係を目に焼き付けて理解しよう、と人一倍真剣に取り組みました。自分たちだけでは分からないことも数多くありましたが、その度に先生方に質問をして少しずつ知識を重ねました。最大限の実習効果を出すことがご献体くださった方へのお返しになるかもしれないという思いもあり、時には確認しきれなかった構造物の特定のため長時間居残って剖出に努めたり、授業時間外に付き合ってくださる先生のもとで学びを深めたりしました。
実習の中で最も衝撃を受けたのは、腎臓の病変です。前述の通り腎不全を患っておられたことは分かっていましたが、腹膜を開けて実際に確認してみると左右の腎臓に無数の小さな嚢胞が見られ、さらに右側の上部三分の一ほどは大きな嚢胞となって完全に組織が潰れていました。多発性嚢胞腎と呼ばれる疾患です。この方にも一つの人生があったという事実が長い実習の中で自分の意識から薄れかけていましたが、壮絶な闘病の跡を見てこれを強く再認識しました。同時に、ミクロレベルにおいてどのような機序でこのような疾患が引き起こされるのか、そしてマクロのレベルでどのように変化が起きるのか、興味がかき立てられました。さらに、この症例を見てから、解剖学で関連事項として学ぶ様々な疾患に対して以前にも増して興味が湧くようになりました。これから学んでいく医学への強烈な興味を引き出すきっかけとなったこの症例を、今後決して忘れることはないでしょう。
解剖学実習での作業は、外科手術と切っても切れない関係にあります。無論、解剖学実習ではあらゆる構造を剖出するために多くの構造を切断・除去しなければならず、必要最低限の侵襲に抑えて最大限の構造を温存する手術とは本質的に異なるものですが、多くの学生が解剖学実習において外科手術を連想していたことと思われます。私は将来臨床と研究のどちらに携わるかもまだ定かではなく、臨床の道に進むとしても外科はあまり考えていませんでしたが、実習を通して頭部、特に耳周辺の手術に漠然とした興味を持つようになりました。実際の手術に近い手順での解剖方法を耳鼻咽喉科・頭頸部外科の先生方から直接教わったことが一因かもしれません。解剖学の知識の修得にとどまらず、改めて進路について考える契機ともなったのは予想外でした。引き続き、視野を広く持って様々な可能性に目を向けるようにしようと思います。
解剖学実習を行った三ヵ月間は当初思っていたよりもずっと速く過ぎ去ってしまい、自分の取り組みに思い残す部分がないわけではありませんでした。少しでもその穴埋めをするため、また興味のある分野についてさらに学びを深めるため、実習が終わった今も頭頸部を中心に解剖の勉強を細々と続けています。その中で、ご遺体で全身の構造を一通り自分の目と手で確認させていただいたことがいかに役立っているかを痛感しています。決して座学だけでは到達することのできない理解を得ることができました。
この大変貴重な実習の機会を我々に与えてくださった白菊会の皆様、ご遺族の皆様、そして充実した実習を作りあげてくださった先生方に重ねて感謝申し上げます。本実習で学ばせていただいたことをもとに、今後も医学に励んでまいります。
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2025年度 医学部医学科 2回生
私は解剖学実習を通して、人間の身体の構造を自らの手で確認し、その精緻さと複雑さに深い敬意と畏怖を抱きました。教科書上で見ていた神経や筋肉、臓器などが実際に目の前に広がる光景は、知識を知覚に変えるという意味で、極めて鮮烈な体験でした。
初めてご遺体を前にした時、私の心は緊張と葛藤で入り混じっていました。白布を外し、ご遺体を前にメスを握ると、「人の身体にメスを入れる」という行為の重みがずっしりと胸にのしかかってきました。しかし同時に、この貴重な機会が医療者としての第一歩であると考え、与えられた責任を誠実に全うしようと自分に言い聞かせました。ご遺体は、私たち学生の学びのために全身を提供してくださった“無言の教師„です。その尊厳に報いるためには、真摯な姿勢、そして徹底した観察が求められると思いました。
実習の中で最も印象的だったのは、神経、血管の走行や筋肉の層構造、臓器の位置関係が教科書の図と異なる部分も多かったという事実です。人の身体は個性の集合体であり、完全な“正解„がないということを実感しました。臓器一つひとつの質感、色調、形状は人によって異なり、それが病態の有無や生活習慣に起因している可能性を考えると、人体が持つ多様性の豊かさを改めて認識することができました。同時に、病態や治療の痕跡を見つける度、ご遺体が生前感じられていた痛み、苦しみを私も感じましたし、苦しみの中でも生き抜かれたその生き様を前に畏怖の念を抱かずにはいられませんでした。この経験は、将来医療者として患者さんと向き合った時、患者さん自身の苦しみに寄り添うことに生かせるのではないかと思います。
また、実習を通じて“触れる„という行為に対する感覚も変化しました。これまでの学習では視覚や聴覚に偏りがちでしたが、実際に手で確かめながら構造を追いかけることで、理解が深まり、同時に身体への敬意が生まれました。筋膜を剥がすたびに、組織同士の微細なつながりが現れ、そのすべてが生きている時の機能と密接に関係していたことを知りました。骨学実習では、骨標本に触れて突起などの構造を様々な角度から観察することで三次元として形状を把握することができましたし、骨同士を組み合わせて関節による動きを再現しつつ、自分の身体でも確認するという過程で人間の身体の構造が自分事としても受け入れることができました。
一方で、倫理的な問いにも向き合う機会となりました。医学は人の身体に介入する学問であり、その根底には「人を救うため」という大義があります。しかし、今回の実習では「人を解剖する」という行為の意味を重く捉えざるを得ませんでした。命を終えた後でも、なお誰かの未来のためにご献体くださった方々の意思に対して、私たちは応える責任があります。実習の最後に黙祷が行われましたが、私はその時間に、感謝とともに医師としての自覚が芽生えたように感じました。
これから臨床の場に出ていく中で、患者さんの体にふれるということは、この解剖学実習の延長線上にあると考えています。診察、治療、手術といったものはすべて、人体の構造と機能への理解があってこそ可能であり、また同時に“生きた人„への尊重が不可欠です。私は今回の実習で培った知識と態度を礎に、医師としての技術と人格を磨いていきたいと強く思いました。
最後に、私たちの実習のためにご献体くださった白菊会の皆様と、そのご家族の皆様、並びにご指導ご鞭撻を賜りました先生方に心より感謝申し上げます。私たちはその思いを受け継ぎ、未来の医療をより良くする責務を負っていることを忘れず精進していく所存です。