「解剖学実習を終えて」医学生からの言葉

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「一御献体から人生の先輩に」

2023年度 医学部医学科 2回生

 私は二回生の四月から約三ヵ月間、肉眼解剖学実習を行いました。実習が始まる前から終わるまでに感じたことを書きたいと思います。
 この実習が始まる前、私には楽しみな気持ちと不安がありました。解剖というのはなんといっても医学部の特徴的な体験であり、医学を学ぶ者でなかったら人間の身体の中身を直接見ることはまずできません。私は小さい頃から医師になるという夢を持っていたのですが、いよいよその第一歩を踏み出していくのだなという期待感がありました。一方、日常ではありえない体験をする訳なのでいろいろ気になって、先輩から話を聞いたり自分で調べてみたりしたのですが、気分が悪くなるとか、体力がきついとか、普段の生活では使わないような少々刺激的な言葉とかを目にしました。それらを見て、私はこれからどんな数ヵ月を過ごすことになるのかと不安になりました。また、まだ二回生の初めで医学を何も学んでいない状態で、何も分からず終わってしまうのではないかという不安もありました。
 さて、解剖学実習は萩原先生のガイダンスから始まりました。そこでは、死体解剖法や献体に関する法律がいくつもあることを知りました。その中でも特に、解剖学実習は決まった場所・条件下でのみ行うことができるというのが印象的で、それを守るという制限のもとで初めて許される特別な体験だという実感を持ちました。また、解剖は医学部生しかできないし、医学部生であってもこれ以降は実際にご遺体を解剖する機会はないということに気づき、まだ医学を学んだことがないとしても、今の自分なりに最大限のことを吸収していこうと気が引き締まりました。
 そうして実習が始まりました。ご遺体を前にして一番初め、皮膚にメスを入れるのが怖くて、先生に最初の数cmをやっていただいたのを覚えています。ご遺体のお顔を見るのも最初は恐ろしく感じて、白い布を被せたまま作業していました。しかし、何日も実習をし ていくうちに、だんだん自分の班のご遺体に愛着が湧くようになりました。初めて布をとって拝見したお顔を見て、きれいでやさしそうな方だなと思った記憶もあります。
 解剖学実習では、器官の立体的な構造や配置、触った感じなど、教科書では分からないことを五感を使って学びました。長時間の実習が毎日のように続き、あれがないこれが見つからないと言って焦って解剖する日も多くありましたが、座学だけをしているよりも確実に学習の意欲をかき立てられ、より人間の身体について知りたいと思うようになりました。
 この解剖学実習で得られたことを三つ挙げたいと思います。
 まず―つ目は、今後の医学部での勉学への活力です。私はつい最近病院へ行く機会があったのですが、そこで診てくださった医師の方も私ぐらいの年齢のとき解剖学実習をしたのだろうとふと気づきました。そして、すべての医師、また周りの学部の先生方や先輩方も皆この解剖学実習を体験してきていると気づき尊敬の念を抱きました。これからまだまだいろんなことを学んでいく中で大変なことも多くあると思いますが、それらは将来医師を目指す者として多くの先輩方と同じように通らなければならない道なのだと心に留めて励んでいきたいと思います。
 二つ目として、患者さんと全人的に接する意識の第一歩を得られたと考えています。実習では、毎回最初と最後に黙祷がありました。この黙祷の時間にご遺体への感謝の気持ちを毎回改めて感じ、ご遺体を単なる解剖対象として扱うことなく、常に敬意をもって実習できたと思います。これは将来患者さんを診るときに、患者さんを単なる診断・治療対象ではなく一人の人間として接する意識につながっていると感じました 。
 三つ目に得られたことは、生物の神秘性とすべての人間への敬意です。実習中、見つけた神経が教科書の説明とは違う走行をしていたり、ある筋肉が有る人と無い人がいたりするといったことがありました。このように、 身体の構造が複雑で一人ひとり違うのを目の当たりにして、人間一人ひとりのかけがえのなさを感じました。
 最後になりましたが、私たちの実習のためにご献体くださった白菊会の皆様およびご遺族の方々、先生方をはじめ解剖学実習に関わってくださったすべての方に感謝申し上げます。この実習を通して得たことを胸にこれからも精進して参りたいと思います。
 本当にありがとうござ いました。

 

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「「一人の歴史」を目の当たりにしたような思い」

2023年度 医学部医学科 2回生

 白菊会の皆様、私たちの実習のために貴重なお体をご献体くださりありがとうござ います。ご献体くださった崇高な精神と、それに対し快く送り出していただいたご遺族の方々にも感謝いたします。ご遺体を初めて拝見した時、「ありがとうございます。これから勉強させていただきます」と心の中で感謝し、身が引き締まったのを覚えています。そして私たちの班員も実習始まりと終る時にはこの感謝を毎回思い出して黙祷を捧げました。しかし、始めのうちは畏怖の念ばかりで、人体を解剖しているという実感はなかなか湧かなかったのを覚えています。
 しかし、実際にメスをとり、本格的な実習が始まると困難を感じることばかりでした。教科書に書かれているように、静脈は青、動脈は赤で見えるわけでもなく、結合組織や脂肪のつき方まで含めて参考にできるものはありません。神経や血管の同定が難しく、3Dデータを見て、先生方に相談してもなお重層的かつ複雑なご遣体を前にして完全な理解に至るのが難しいケースもありました。しかし、そのような時でもご遺体を前にすると「先へ進もう」という勇気を与えていただきました。そして、回を経て体の深部へと向かう中で大きな血管や神経、臓器の構造がとても鮮明かつきれいに見てとれるようになり、それを契機として毎回が新鮮な発見となり、それらに感動を覚えるようになっていきました。そして、 進化の過程で形成された複雑で精緻な構造を持つ人体という存在に畏敬の念を持つようになりました。
 ご遺体の細部への注意が向くにつれ、一人ひとり性格が異なるように人体にも差異があることが明らかになってきました。これは他班の様子を観察しているとよく分かりました。先天的な差異もありますが、どちらかというと後天的な手術痕、炎症の跡、組織の癒着など生活歴、病歴を感じさせるものが目に止まりました。それにより血管や神経が特徴的になっていったりするのを見て知的興奮を覚えました。そして、それらを見て会員の方の寄稿を思い出しつつ、どのような思いでご献体くださるに至ったのか、という「一人の歴史」を目の当たりにしたように思いました。そのような経験を経て初めてご献体くださった方々の人生を垣間見たように思い、実感が湧いてきたのです。
 この実習の節々で、将来医師になった暁には、このように多様な人体に対し「未熟だから学ぶ」こと以上に「治療のために個々人の差異に合わせた対応をする」ことが求められてくると思い、それを活かせるように実習をすることができたと思います。
 最後にこのような機会をご提供くださった大学・先生方や白菊会の皆様、本当にありがとうございました。また、ご献体という崇高な決断をしていただいた会員の方々に心より感謝を申し上げます。勇気のいるそのご決断のおかげで我々は隅々まで人体を勉強することができました。この思いを忘れることなく、医学に貢献できるよう精進し、社会にお返しさせていただきたいと思います。

 

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「医師という仕事の責任の重さ」

2023年度 医学部医学科 2回生

 私たちの実習のためにご遺体を提供してくださった白菊会の皆様、またそのご遺族の方々に心より感謝申し上げます。また、丁寧にご指導くださった先生方、並びに医学部関係者の皆様、ありがとうございました。
 実習の初日、初めてご遺体を目にした私は、ビニール袋と白布に包まれたご遺体を、身内の葬儀で見た白装束と重ね合わせ、大きな衝撃を受けました。そして萩原先生の「ご遣体を、君たちの親だと思って大切に扱いなさい」というお言葉に納得し、実習の最後まで心に刻んで取り組んできました。そしてこれから先、医師になっても忘れることがない言葉となりました。解剖が進むと、毎日の予習と復習に追われ、徐々に増えていく知識と、実習で目にする経験との繰り返しで目まぐるしく過ぎていきました。やはり解剖書でイラストとして見て文章での解説を読むのはあまり現実味がなく、情報として頭に流れてくるばかりでした。その情報を元に実習に臨んでも、組織に覆われた血管や神経を探すのは難しく、やっと見付けたときには達成感とともにその経験が映像として記憶に残るものとなりました。実習後に改めて解剖書を読み返すと、実習前とは全く異なる印象を受け、一次元的な情報から、記憶を辿って、皮膚表面から目的の構造物まで探す順路、構造物の周辺の組織との区別、構造物の色や感触を、まざまざと三次元的に昇華することができるようになっていました。
 実習を通して、私は多くの驚きに出会いましたが、その一つは、人体はとても複雑でその複雑性がほとんどの部分においてほぼすべてのご遺体に共通して見られたということです。骨格を形成する多くの骨、それらを起始停止とし てつなぎあわせる筋肉、それを支配する神経、栄養する血管の走行は、人間の様々な動きを可能にするために細かく作り込まれており、それは解剖書という形にまとめて一般的な解釈を普及しています。医学生がそれを元に各々学べばある程度の構造の把握ができるほど人体は似通っていました。そのような事実を改めて認識したとき、私は自分も人類というカテゴリーで発生したことに気付かされました。また、生命が地球上に誕生したはるか昔にはたった―つの細胞だったものがこんなにも多くの種類に形を変え、互いに作用しながら、一つの生命を形作っていることに神秘を感じ、生きているという事態に畏敬の念を抱きました。
 二つ目は、大部分が似通っているご遺体にも、細かい部分には差異があるということです。私の班が担当したご遺体では、臀部の梨状筋という通常は―つの筋肉が二つに分かれていました。このことで、人類がまだ進化の途上にあり、ゆくゆくは優性のものだけが生き残り、劣性は排除されるという過程にあるものであると痛感させられました。他にも、 通常は横隔膜の下にあるはずの胃が横隔膜の上まではみ出しているという違いもありました。しかし梨状筋の差違が変異とされるのとは違い、こちらは病気をして扱われるものであると知りました。このように、 病気とはある構造物が通常の位置や構造と少し異なるだけで人間生活に支障をきたすかもしれないものであるという事実に直面しました。将来医師になったときに向き合わなければならないものを改めて認識し、医師になって病気を治すのだという自覚を持ちました。そして、ご遺体それぞれが異なるという点に個性を感じ、ご遺体もかつては私たちと同じように生身の人間として生活なさっていたということに気付かされました。実習前の講義で萩原先生が「ご遺体を君たちの最初の患者さんだと思うように」というお言葉を噛み締め、将来時自分が向き合わなければならないのは病気だけではなく、病を抱えた一人の患者さんの心や人生であることに、医師という仕事の責任の重さを感じました。
 多くの気付きや感動、衝撃にあふれた心動かされる実習でしたが、この実習を行うことができたのは白菊会の皆様、ご献体くださった方々、先生方をはじめ関わってくださった全ての方々のお蔭です。この新鮮な気持ちを忘れず、 責任感と使命感を持って日々学びを怠らない医師になります。 素晴らしく、貴重な学びの機会を与えてくださって、ありがとうございました。

 

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「人の命に関わることを学んでいく実感」

2023年度 医学部医学科 2回生

 四月、初めての専門科目である解剖学実習を前にして、胸の奥にある不安で落ち着かない気分でした。人の死に対して恐怖心があり、亡くなった方のお身体を前にすることを正直恐ろし いと思っていました。しかし、初回の実習、 卒倒してしまいそうな緊張感の中でご遣体を目にし、触れ、メスを入れた際、これから自分は人の命に関わることを学んでいくのだという実感がひしひしと胸に迫ってきました。
 実習を進めていく中で学んだことは、何物にも代えがたいものでした。生まれて初めて人体の内部を見て強く感じたことは、人体がとても繊細だということです。特に神経は本当に細々としていて、見つけるのも剖出するのも驚くほど難しかったです。そのような構造物の一つひとつに役割があって我々の体が成り立っているのは奇跡のようなものだと感じました。
 また、それぞれのご遣体では筋肉量や内臓の大きさ、疾患の有無などの差があり、その多様性に驚かされました。その一方で私が驚いたのは人体が画一性も持っていることでした。走行などに多少の差はあれど全てのご遺体で同じ動静脈、神経や筋肉がある、そのことが私にはとても神秘的に感じられました。また、それらの全てに名称がつけられていて機能まで明確にされていることから、途方もない年月をかけて医学が進歩してきたことを感じ取ることができました。先人達の業績のおかげで人体の構造を体系的に学ぶことができるということに対して感謝したいと思います。
 実習を進めていくうちに、自分が医師として働く将来についてもより深く考えるようになりました。体内の細かな構造物は剖出しようとして誤って切断してしまうことも少なくなく、その度に「これが手術だったら」と考えて背すじの寒くなるような思いがしました。同じ班の友人と、「外科医になるのは無理かもしれない」と話して気落ちしたこともありました。しかし、現在医師として活躍されている方々もこの時期には同じ経験をされていたのかという考えに至ると、医師の方々は途方もない努力をされてきたのだなと尊敬の念を抱くようになりました。ただ、それは私が将来医師になるためにも同じだけの努力が必要だということを示しています。将来人の命を預かる者として、これから先覚悟を持って学習していかなければならないことを改めて実感しました。
 実習の終わり、納棺式の厳かな雰囲気の中で、ご献体くださった方々の生前に思いを馳せました。皆様がどのような人生を送ってこられたのか、なぜ見ず知らずの私たち医学生の学習のために自らのお身体を預ける決断をしてくださったのか。様々な思いがあるとは思いますが、一つ言えることは私たちが信頼されているということだと思います。私たちを信頼して医学の発展を願ってくださっている、そんな皆様の想いを感じ、背すじが伸びる思いがしました。これから医学を学んでいくにあたって、この感情は忘れないでいようと思います。
 最後に、ご献体くださった方々とそのご遺族の方々、そして実習に携わってくださった全ての方々に深く感謝申し 上げます。

 

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「医師としての素養を身につけること」

2023年度 医学部医学科 2回生

 まず初めに、解剖学実習のためにご献体くださったご本人様、そのご遺族の皆様、そして実習に携わってくださった先生方に心よりの感謝を申し上げます。
 先日、約三ヵ月にわたって取り組んできた解剖学実習を終えました。この感想文では、実習初頭に抱いていた―つの目標である「医師としての素養」を身につけることについて詳しく述べたいと思います。
 初めて実習室に入りご遣体と対面した際、言い知れない恐怖を感じました。しかし同時に、「人とは何か」「生死とは何か」という根源的な問いが頭に生じました。この問いは入試の面接でも言及され、医師は常に考え続けなければならないと面接官の先生はおっしゃいました。実習が終わった今でも正解は分かりませんが、これからの勉強においてもこの問いを忘れずにいることが大切であると痛感しました。
 実習中には、体調の変化やつらい気持ちに悩まされることもありました。特に、骨盤は構造が非常に複雑であり、細かな血管や神経の剖出は気力が要る作業なので、逃げ出したいと思ったことが幾度もありました。しかしながら、ご遣体が私たちのために存在してくださることを思うと、真摯に解剖に向き合わないといけないと感じました。その中で、人体の繊細さや合理性に触れることで、座学では得られない実践的な知識を得たと実感しました。また、実習の時間外にも実習室に足を運ぶこともありました。ご遣体から学ぶことの重要性を改めて痛感したからです。実習を通じて、医師としての素養を身につけるためには、実践的な経験と知識の獲得が欠かせないことを深く理解しました。
 さらに、解剖学実習中には、単なる学問的な知識だけでなく、人間性や倫理についても深く考える機会がありました。実習を通して、人間の身体の神秘性や尊厳について改めて認識しました。ご遺体は生前に多くの喜びや苦悩を経験した個人であり、そのお身体は―つの物語を体現しています。例えば、私たちの班のご遺体は、胃がんの手術のため胃と胆嚢が全摘出されていました。また、臓器の大きさや筋肉や骨格の発達度、血管や神経の太さなど様々な個人差が見られました。私たちが解剖を行う際には、ご献体くださった方が生前どのような人生を歩んできたのだろうかと思いを馳せ、目の前のご遺体に感謝を抱きながら、作業を行うことが重要だと学び ました。このような倫理的な側面も解剖学実習の重要な一環であり、医師としての成長に欠かせない要素だと感じました。
 実習を通じて得た知識や経験は、私の医学の基盤となりました。しかし、実習の終了と共に学びも終わりというわけではありません。むしろ、これからが本当の医学の道の始まりだと思っています。 医師としての素養や人間への慈悲の念を 常に心に留めながら、さらなる医学の勉強に励んでいきたいと強く決意しています。
 最後に改めて、ご献体くださった方々、そしてご遺族の皆様に深く感謝の意を表します。 私たちのためにお身体を託し てくださったことに心からの敬意を表します。また、色々とご指導くださった先生方にも感謝を申し上げます。実習中、私を含む班員たちは長い時間を共に過ごし、お互いに励まし合いながら学んできました。おかげで実習はより充実したものとなりました。心からの感謝を込めて、御礼申し上げます。